既存知識の増やし方と読書をしない弊害

アイデアを増やしていくには、元となる既存知識を増やしていく必要があります。
読書での既存知識の増やし方は別記事で書いていますが、読書以外で小説のアイデアの元となる既存知識を増やすにはどのような事があるのでしょうか?
また、本を読めと言われますが実際に読まなかったらどのような弊害があるのでしょうか?
読書以外で幅を広げるためには?
読書をする事で自分の中にある知識を増やせる事とアイデアの思いつきには下地となる既存の知識が必要だという事を別記事で紹介しました。
しかし、これだと本の中だけで完結してしまっていて、本で紹介されていない事はアイデアが湧かなくなってしまいます。
どうせなら「斬新なアイデア」や「今までありそうでなかった」という言葉を選考委員から貰いたいという気持ちありませんか?
僕は言われたいです(ボソッ)
そういう声が貰える作品を思いつくか分かりませんが……
斬新という評価を声を望むのなら本以外の事からも知識を得る必要があります。
本以外からどういう知識の獲得方法があるのでしょうか?
- 知らない体験をする
- 人と触れ合う
- 継続する趣味を持つ
知らない体験をする
自分の知らない体験をする事は新しい知識を得る事で有効です。
一つの体験から様々な事に発展していきます。
知らない体験って何すれば良いのか分からないと思われるかもしれません。
僕がやっているのは旅行先で気になった体験講座があったらやってみるです。
アイデアではないですが、次の記事にある将来やりたい事の一つができたのは旅行先で体験講座を受けたからです。
グーグルで「体験講座」って検索すると色々な講座が出てきます。
出てくるものをちょっと調べてやってみるとか実際に講座を受けてみる事で知識は溜まりますし、実際に体験した事を小説に使う際でも深みが違います。
小説に限らず創作活動ではロケハンは重要な事として扱われていますし、ロケハンまでいかなくても実際に体験をしてみることの重要性も各所で見られます。
バクマンでも思いついたネタを実際にやってみたり、主人公の気持ちを知る為に体験したりしています。
知識を得るために体験するだけでなく、体験して実際に感じる事は自分だけの知識になるので作品作りに重要です。
自分も興味がある事はお財布と相談しながら経験していきます!
体験して感じる事はオリジナルの知識!
人と触れ合う
なくはないと思いますが、作中に人が一人(擬人化なども含めて)だけしか登場しない物語は極めて少数で多くは人との関わりが物語を彩ります。
人間社会が群れの集団だからという事もあるかもしれませんが、どちらかというと一人を好む傾向がある僕でも一人だけの物語は一度も考えたことがありません。
一人ではない物語を作るにはどのような人がいるのか、どんな視点を持っているのか、集団ではどのようなやりとりがされるのかといった知識が必要不可欠です。
ご都合主義的な形を取りすぎるとシラケてしまいますが、いるよねこういう人と思わせられるとリアリティが出ます。
人と触れ合う事や人間観察という事はキャラ作りで大切な事になります。
なりますが、僕みたいに無職になっていると関わりがなくほぼ毎日無言でPCに向かってるだけで普段の生活で人と関わる機会がなくなります。
……あ、これはソフトハウス時代とあんま変わらないですね(笑)
無職になると人との関わりが極端になくなるので、その点は不安になります。
過去の人物像を思い出しても対応できない場合には想像で補うか無理やり関わりを作るしかありません。
15年ほど前に雑誌だったと思うのですが、「小説家を目指すなら人をよく見ろ」という言葉を見ました。
昔はそうなんだ~くらいの軽い気持ちで全く腹落ちしていなかったのですが、今になって実感します…。
この言葉の意味合いと同じか分かりませんが、「物語というのは人が織りなしているんだから、創作とはいえ人を蔑ろにして面白い話が作れるわけがない」という事だと感じています。
今やっているのは旅行先等で話す機会がある時には積極的に話していく事です。
スーパーのように時間的に追われてそうな所は難しいですが、個人店ぽい所だと比較的話をしてくれます。
やっていないけれど、時間と相談して試そうか考えているのが近くのコミュニティセンターの講座やボランティアです。
外から眺める形になりますが、個人店の喫茶店やバーで人間観察です。
物語は人と人の触れ合い!
継続する趣味を持つ
簡単な事でも継続する趣味は、その分野に自分独自の価値観を持つことができます。
独自の価値観があるかないかで作品がヒットするには繋がりませんが、物語に深みが出ます。
僕の事で言えば、会社で働いていた時から片手間レベルですがベランダ園芸をし、花と野菜を両方とも育てています。
庭を作っているようなバリバリの人には遠く及びませんが、小規模なりに悩みながら行っていますので自分なりの考えを持っています。
最近は健康ブームの影響で無農薬が注目されていますので、「無農薬園芸 VS 農薬使用園芸」みたいな構図とかで小説書けますね。
しかし、未経験者だと無農薬サイドは思いつくかもしれませんが、農薬使用サイドは思いつかなかったりしませんか?
テレビとかでも無農薬ばかりですよね。
僕は無農薬栽培をしてますが、逆の立場の農薬使用の気持ちも多少分かります。
無農薬ゆえの悩みもありますので…。
その為、無農薬への投げかけもできます。
考え方ひとつでどっちも正しくなる対立だと片手間園芸家として思っています。
あ、僕がどう考えているかは書きませんよ?
この記事見た人が園芸テーマで小説書いた後に、僕も園芸テーマで小説を書いてパクリ判定受けたら嫌なので(笑)
片手間でやってても感じる悩みや問題って出てきます。
自分が感じた上で自分なりの答えを出している物語とそうでない物語は、素人目でも深さの違いを感じます。
自分の一つの強みになりますので、継続できそうな趣味を持つのをオススメします!
興味を持てない趣味でないと続けられないので、お気を付けください。
継続する事で分かる気持ちは、独自の強みになる!
読書をしない事で起こる事
読書をするメリットは綴りましたが、逆に読書をしないとどんな事になるのでしょうか?
生涯を通して小説家で生きようという人の中には読書をしないという人は聞きません。
生涯小説家を心掛けている人と受賞後少しして消えてしまう人の一つの分かれ目が、読書をするかしないかだと考えています。
生涯小説家と一発小説家の一つの分かれ目
小説を出版したり、大賞や新人賞を取ってデビューした人の中にはいなくはないと思うのですが、長く続いている人では小説を読まない人は聞きません。
なぜ聞かないのか考えると、小説家を続けられなくなるのではないかと考えています。
続けられなくなる理由としては「興味の無さ」と「環境適応性の無さ」ではないかと思います。
「興味の無さ」と「環境適応性の無さ」のどちらかが足りないと、デビュー後に生涯小説家として生きていけず、デビュー後一発で終わってしまうのではないかと思います。
興味の無さ
「興味の無さ」は小説自体に興味がない場合です。
大賞の賞金って多いじゃないですか。
更に受賞したら出版確約の場合もあるのでプラス印税出ますよね。
加えて売れっ子になったら上は青天井なわけで、そういう所に惹かれて興味ないけど頑張ってみたっていう人もいると思います。
才能があって運よく受賞したとしても、その先には出版の為の修正と次巻の為の打合せがあります。
ここで作品のつくり方がガラッっと変わります。
今迄は自由に作れていたのが、出版社(読者)の求める形に対応していかないといけません。
売れなければ支払いもできないので当然です。
ここで、興味ないと担当者からの要望を満たすための勉強(読書)が辛くなるのではないでしょうか。
担当者から修正の参考で○○を読めと言われると思いますが、興味ないので読む気が起こりません。
そういうのが耐えられなくなって、一巻二巻くらい出して書かなくなってしまうのではないでしょうか。
僕は会社員時代、生活費の為と思っても興味ない事をやるのは辛かったです。
何だかんだ言いながら昇進の為等で頑張ってる人を尊敬の眼差しで見ていました。
逆に興味ある内容に触っていると、今度は進んでやりだします。
楽しいですから、残業してても気にならないです。
楽しみながらやってる時は周りも分かるらしく、「活き活きしてる」とか「ほどほどで帰れ」とか言われるようになります。
お金の為だけで頑張れる人もいるのを知ってますが、僕のように興味がないと無理な人も少なく無いと思います。
そういう方が筆をおかれてしまうのでしょう。
環境適応性の無さ
環境適応性の重要度は歴史的に証明がされています。
なぜ人類が生き残り繁栄したのかもそうですし、鳥類も羽ではなく翼の種族は淘汰されてきました。
生き続けるには環境に柔軟に適応していかないといけないです。
それでは現在の社会で考えてみましょう、皆が皆環境適応できていると思いますか?
答えはNOです。
会社で使われる老害という言葉は過去の成功体験にしがみ付いて、今を受け入れられていない人がいる事を表しています。
会社だからいいですが、自営業だったら倒産してしまいます。
人ごとのように書いていますが、僕自身も環境適応できていなかったことに最近気づきました…。
しかも目指しているラノベでの事だったので気付いた時はショックを受けました。
僕がラノベを読み始めたのは18年ほど前になります。
当時読んでいたのは、「キーリ」や「キノの旅」、「吸血鬼のお仕事」等です。
今だとラノベはハーレムのような恋愛ADVの雰囲気の作品が多いと感じています。
それはそれで嫌いではないですが、僕が本当に読みたいのは「キーリ」や「キノの旅」のような作品で目指しているのもここになります。
最近はラノベ好きっていう場合には「でも最近のラノベカラーっぽいのではなくて、10年以上前の感じのね!(キリッ」と言っていました。
ラノベ作家の皆様、出版関係の皆様、誠に申し訳ございません!!!!!!
ラノベも10年以上の時間の流れで変化していっているのは、メインターゲットである10代~20代前半の嗜好を常に分析した結果です。
プロを目指す以上外部環境の変化に適応していかなければなりません。
この部分は自分の中で腹落ちしておかないと後で後悔します。
デビューしたしたら間違いなく出版社との衝突は起こります。
ラノベのあとがき見てると何人かプロットの苦労話を入れているので…。
もしどうしても譲れない場合は、投稿サイトで書けばいいと割り切りましょう。
趣味ではなくてプロになると決めたのですから。
淘汰されない為にも、外部環境の変化に適応していく
まとめ
読書をすることが全てだとは思っていません。
しかし、読書をしないで小説家であり続ける事はできないと思います。
この作者の次の巻や作品を読みたいと思っても何年も出てこないという経験があります。
小説家でなくてもプロであり続ける人はその為に必要な事を意識的や無意識的に行っています。
僕自身が数冊で終わってしまわないように忙しくても読書は怠らないようにします。
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